久世のだんじりの始まりは江戸時代後期。
御神輿のように担いでいたことから、“担ぎだんじり”と言われていたが、担いでぶつけ合っていたことでケガ人が絶えず、大正時代中期、馬車台に乗せたのが現在の姿の原型。
昭和30年代まで町の中心を流れる旭川の交通として使われた「高瀬舟」に由来して、だんじりは舟形。
車輪は、木製の「砂利輪」。
舵とりは、だんじり前方「てぎ」で方向転換を行う。
馬車台の上の“宮”は、四本柱で支えられ、屋根は各だんじり伝統の破風造り。
半鉦と太鼓の囃子は、ゆっくり歩く時は「町廻り」、他のだんじりとすれ違う時は「つづき」、そして、“だんじり喧嘩”の時の「けんか囃子」の3通り。
時代とともに、だんじりの形状も変化し、激しくぶつけ合うだんじり後方は、頑丈な鉄板に覆われ、先端は鋭角に尖っている。
「だんじり喧嘩」は、上組4社と下組5社に分かれ、上組対下組の対戦。
現在は勝ち負けがないが、押し手、乗り手、てぎ師と一丸となり、相手だんじりの側面を自らの先端を突き刺そうとする。 |